スタッフブログ

愛情満載のお料理

病状が進行し胃瘻造設をして在宅療養をしている患者様です。
ご夫婦とても仲良し。でも退院直後は二人とも険しい表情でヒヤヒヤしましたが、しだいに在宅療養に慣れ、自宅内を移動できるようにリフトも導入されました。
奥様のお得意は料理。ある日のメニューです。

和風ブイヤベース?

用意する物
①だし汁 ②季節の野菜 ③ごはん ④ステーキ(焼いて細かく切っておく)
だし汁の中の①~④の食材を入れコトコト煮込んでそして圧力鍋で10分
トロトロのペースト状の食事の出来上がり
ミキサーではなく長い時間じっくり煮込んでトロトロなのです。
注射器数本に入れお気に入りのお皿に。
すべて胃瘻からご夫婦ならではのおしゃべりをしながらの注入です。
出番のない経腸栄養剤が階段の影でひっそりしていました。

料理

介護について 見守ること、待つこと

今まで訪問入浴、介護老人保健施設、そして当院2階病棟で介護に携わってきました。今のデイケアに異動して約11年です。高齢の方、障害をお持ちの方に対してどのように介助するのか考えてきました。
この2,3年で考え方を少しづつ変えています。
利用者様の動作に対して、利用者様の残存機能を生かして、なるべく自力で行ってもらえるように支援、声かけをすることです。見守ること、待つこと・・・もとても大事だと思っています。
<つい以前の癖で手伝ってしまうことがあるので・・・・>   通所リハビリテーション 介護福祉士

 

 

原水爆禁止世界大会参加報告 ∞被爆者の声を引き継ぐこと∞

原水爆禁止世界大会に参加させていただき、改めて戦争や核兵器がもたらした被害の大きさや悲惨さ、多くの悲しみが残されたということを感じました。また、大会の中で多くの方が核兵器の廃絶や平和について演説されており、聞いていて熱い思いになりました。

大会中には被爆者の話を聞く機会もありました。以前、高校の修学旅行で長崎に行き、その時にも被爆者の話を聞かせていただいたことがあり、とても辛い大変な思いをされたということ、それを聞いた自分も辛い悲しい思いをしたのを覚えています。今回も話を伺った後、再び高校生の時と同じ思いになりました。高校生の当時は被爆者自身の記憶を聞かせていただきましたが、今回話をしてくれた方は被爆当時2歳で自身には被爆当時の記憶は無く、母親から聞いたことを元に話をされているということでした。記憶にないことを話すことについての難しさやためらいなど悩まれていることもあったとおっしゃっていましたが、一人でも多くの人に原爆や戦争の悲惨さを伝えるためと活動を続けられている姿勢に感服いたしました。

数ある演説の中で「我々は微力だが無力ではない」ということばが印象に残っています。少なくとも自分の子どもや近しい人に対して平和の大切さや戦争の悲惨さを私なりの言葉で伝えられるようにしたいと思いました。

飯田聖良(あきしま相互病院 理学療法士)

 

庭づくりボランティア 「やまぼうし」の会

 あきしま相互病院開設時から庭づくりに取り組んできました。患者さん、利用者さんに喜んでもらえる庭にしたいと心がけています。
季節に咲く身近な花、懐かしい花。季節に収穫する野菜たち。小鳥も喜ぶ果実などどの季節も楽しみです。
採り立てのナスを手に顔をほころばせる患者さんや、職員と一緒に花の名前を確認しながら車椅子で散歩される姿に「庭づくりに参加してよかった」と思います。
自然の中で活動する私たち自身が元気をもらいます。興味のある方の参加をお待ちしております。


「やまぼうし」の皆さま

“スタッフの思い”更新しました  在宅医療を支える病院の役割

 私たちの病院では地域で暮らす100人超の患者様のご自宅へ、まるで病院で回診をするように訪問診療をおこなっています。病院に当直医がいるように、在宅医療の現場では当番医師が夜中の急変にも出動します。

 この地域の中枢を担う総合病院から初老のガン末期の方の紹介がありました。それは朝一番の電話で、「どうしても家に帰りたい、移動中や今日中の最期も十分予測されますが、本人の強い希望なのです、訪問診療をお願いしたい」との内容でした。今の時代、申込を受けて説明をし同意を得てからの診療となります。しかし残された時間がない状況です。お会いしたこともないその方の「最後の時間」を支える助けになりたいと思いお引き受けし、当日の訪問診療をしました。「帰ってきてよかった」「富士山も見ることができた」と苦しいながら柔らかな表情をされていました。ご家族へ、今後予想される事態を医師から説明して退席しました。午前5時、長女様から緊急連絡が入り自宅へ伺い確認をさせていただきました。お会いしてからわずか10時間後のことでした。

 微力ながら私たちの支援病院があったから自宅での最後が可能になったのではないかと思います。後日、四国のある町の役所から連絡がありました。「確認が6:23分となっていますが病院の医師がその時間にご自宅へ行かれたのですか?」と聞かれ、当院のシステムを簡単に説明しました。すると「この地域はその時間に医師が患者宅で確認することは大変珍しいので問い合わせをしました」「これからも是非頑張ってください」とお会いしたことのない方からエールをいただきました。1人の患者さんが私たち在宅の輪を広げてくださった感じがします。
在宅室 看護師